2011年4月11日、ボスニアヘルツェゴビナ・サラエボに到着しました。サラエボはサラエボ事件でおなじみの街です。ボスニアヘルツェゴビナの首都で第一次世界大戦の引きがねとなった街でもあります。
この地を訪れたのは旅行ルートの通り道だったからという理由です。もちろん事件現場になった橋には興味がありました。
私たちはクロアチアからバスでサラエボ入りしました。バスを降りてから両替所の場所を聞き、両替しました。
両替所ですがバスターミナルの外の建物にあります。近くには郵便局がありました。両替したい人は郵便局を目指すとわかりやすいと思います。
建物を見て感じるとおり旧共産圏のイメージが強い街です。華やかさにはかけるかもしれませんが、そこはヨーロッパやはり建物などもセンスがあります。両替ですが、このとき日本円に換算すると1マルカ(KM)あたり53円でした。クロアチアと比較すると物価は若干安いです。私たちは150ユーロほど両替しました。なぜ150ユーロにしたか?というと宿代はおそらくユーロでOKだろうと思ったことと、翌日はベオグラードに移動する予定だったためです。
残ったら電車代にまわせばいいかという感覚でした。
早速ホテル探しからスタートしました。サラエボ事件の現場から近いメインの駅へと移動し、ホテルを探したところすぐに見つかりました。1泊25ユーロです。黄色の内装がメインでかわいらしいホテルでした。
チェックインをすませ、おなかがすいたので早速食事にでかけました。サラエボはハンバーグのようなお肉がメインの地域でみんなハンバーグ的な料理をほおばっていました。街は料理を焼く煙でモクモクしていたイメージです。
その後いよいよサラエボ事件の現場へと向かいました。私たちが訪れたときは静かで穏やかな一ヨーロッパの風景ですが、ここで歴史的な事件があったのかと思うと不思議な気分でした。
もしここでサラエボ事件がなかったら第一次世界大戦は起きなかったのか?と自問自答しつつ、1時間ほど橋を眺めていました。
ここでは電車移動がメインでしたし、食事程度しかお金がかかりませんでした。教会なども見学し充実した1日でした。
私たちは東欧を旅行したわけですが、銃弾の痕などがそのまま残っている建物も多かったです。また街では日本の国旗が入っているバスをみかけました。日本が支援したものだそうで、日本の支援はこうした場所でも実施されているのだなと実感した瞬間でした。