べネチアで骨折、治療よりも保険請求手続が大変!

べネチア骨折して保険請求手続き

2015年3月1日から20日までの予定で、オーストリアとイタリア旅行に出かけました。夫と次男、ふたりの甥と、5人での大旅行。まったくの個人旅行で、航空機の手配も宿泊の手配もすべて自力で行ない、費用は主人名義の「りそなゴールド《セゾン》」で決済しました。

オーストリアでは留学していた長男の卒業式に出席、その後イタリアに移動して、ベネチアとローマを観光して帰る予定でした。

ベエチアでの怪我と、海外旅行保険をめぐっての苦労と失敗

ここから、海外旅行保険をめぐって、大変な思いをすることになるのですが、その大変ポイントを整理しておきましょう。

  1. まったくの個人旅行で、一切旅行会社を通しておらず、すべてを自力でやる必要があった。
  2. 私は英語は得意だけれど、病院内ではイタリア語しか通じないことが多かった。
  3. 病院内にWi-Fi環境がなく、日本の保険会社とのやり取りが時差のこともあって大変だった。

ベネチアの階段で腕を骨折、救急ボートに乗って病院へ

3月12日夜、ベネチア。一日中ドウカーレ宮殿で、壁と天井を埋め尽くした圧巻の絵画を堪能した後出来事です。戻った宿泊先のアパートメント入り口の暗闇の中でわずかな段差につまづき、転倒。尋常でない痛みに襲われました。

すぐに夫と息子が駆けつけ、なんとか部屋まで連れて行ってもらいます。みるみるうちに腕が腫れ上がり、痛みが激しいので、夫が近所の不動産屋の従業員に頼んで救急車ならぬ救急ボートを呼んでもらいます。?をつけた理由は、ベネチアには水路と歩道しかなく、車はないのです。まもなく、大きなモーターボートが到着します。

救急隊員の求めに応じて夫が渡したパスポートを見て、隊員が最初に言った言葉は
「ハッピーバースデー!」。
確かに、間もなく私の誕生日になる時間です。しか〜し!!!
痛みに顔を歪めている私に向かって言うかな〜「ハッピー」バースデー。

文化の違いの実感は、その後も続きます。救急ボートを降り、ベネチアにたった一つの病院の救急処置室に運び込まれた後も、ドクターや看護師さんたちから、次々に
「ハッピーバースデー」
と声がかかったのです。やれやれ。

最初に聞かれたのは「旅行保険に入っているか?」

まず最初に
「旅行保険に入っているか?」
と聞かれました。カード付帯の保険に入っていると伝えると、病院のスタッフがパスポートとカードをコピーしていました。

保証金20万円!をカードで支払う

翌日、病院の会計担当が通訳を伴ってやって来ます。イタリア語から英語への通訳です。イタリアでは英語があまり通じないのです。
会計担当が求めたのは、
「Deposit(保証金)として1,650ユーロ(約20万円)を払う」
ことでした。Deposit(保証金)は、カード払いが認められているので、カードで支払い手続きをしました。

週末は手術もお休み?月曜日まで待たされる

結局右上腕部を複雑骨折しているので、手術が必要と言われます。

ベネチアで右上腕部を複雑骨折

ただし運び込まれたのが金曜日の夜だったので、月曜朝まで手術を待たされます。間違っても、ヨーロッパで週末に怪我をしてはいけません。とほほ。

保険会社に連絡を取るために

日本の保険会社には、主人がメールで連絡すると同時に、オーストリアにいる長男からも連絡を入れてもらいました。

夫、Wi-Fiのためにカフェに入り飲み物を注文

問題は、とにかくWi-Fi環境の確保。主人は、Wi-Fiを使いたいがために、カフェで3〜5ユーロ払って飲み物を注文し、日本に連絡を取り続けました。

保険会社から病院への電話は、英語が通じず切られていた

何日目かに、友人から借りて私が持っていた携帯電話がなり、出てみると、日本のカード会社からでした。私もうれしかったですが、相手の保険会社の担当者もかなりうれしそうでした。
「あー、やっとつながりました。S様ですね」
聞けば、何度もサン・ジョヴァンニ病院に電話をかけてくれたのだけれど、病院の電話係が、英語を聞いたとたんに、イタリア語で何か言って切ってしまっていたようです。本当に英語が通じない!

保険会社の対応と、同室の女性のやさしさに救われる

日本の保険会社からは、とにかく入院日と退院日と傷病名が書かれている診断書をもらってきてくださいと。もう、対応の良さと優しい言葉に、涙が出そうになりました。

ちなみに、私の部屋は2人部屋で、同室の人は、同じ日に犬を散歩させていて引っ張られて転び、脚を骨折したほぼ同年代の女性で、うれしいことに、なんとか英語が通じたのです。

サン・ジョヴァンニ病院

彼女は優しい心の持ち主で、私が英語で話すと一生懸命耳を傾けて、なんとか理解しようと努力してくれ、どんなに体調が悪くても痛みが強くても、私が困っていると必ず通訳をしてくれて助け舟を出してくれました。

時間の流れるのは苦痛なまでにゆっくり。眠れぬ長い昼と夜。痛みに耐えながら、ただベッドに横たわる事しかできない中で、ほぼ同じ年の私たちは好きな映画や音楽、お互いの家族や人生の話しを始めていました。私たちのおしゃべりは私の退院の朝まで続きました。

保険会社に費用として認められたもの・認められなかったもの

保険会社から、レシートや領収書はすべてとっておくようにと言われました。

私の入院中、息子と甥は予定通りローマ経由で一足先に帰国しましたが、主人は安宿に泊まって、毎日病院に来てくれました。
結果的には、付き添い者費用として、夫の宿泊費、病院とホテル間の交通費、Wi-Fiを使うために入ったカフェの代金などは認められました。飲食代は、認められませんでした。

病院のインフォメーション・デスクは英語が通じて助かった!

帰国のフライトは、出発地も日程も変更の必要がありました。ローマへは行けなかったので、ベネチアのマルコ・ポーロ空港(VCE)から飛ぶことにしました。この、帰国準備を助けてくれたのが、病院のインフォメーション・デスクで働いていたA君とD君でした。

帰国便の変更、空港までの救急ボートなど、インフォメーション・デスクが手配

彼らは英語が堪能で、しかも親切で有能。航空会社と2時間以上かけて交渉してくれて、すべての変更を行ってくれました。おまけに、150ユーロ払えば、救急隊員に病室まで迎えに来てもらえて、また救急ボートで空港の桟橋まで連れて行ってもらえるサービスを見つけて予約してくれたのです。これはありがたかった。なにしろ、ずっと寝ていたし、腕を吊っているのでバランスが悪く、石畳の道を歩くのは不可能でしたから。これも、移動にかかった費用として認められました。

退院の日、ギリギリに診断書を受け取り病院を出る

さて、いよいよ退院の朝がやって参りました。10時には出られるとのことだったので、それに合わせて迎えを頼み、着替えてスタンバイしていました。

退院に当たり、いちばん気になったのが、診断書です。これがないと、保険の請求もできないし、帰国してから日本の病院にも行かれません。血液が固まるのを防ぐ注射を打たれ、さあ、出発。空港まで連れて行ってくれる救急隊員も来ました。診断書は……あ、やっと来ました。封書を受け取り、周りの人たちに挨拶をして、9日間を過ごしたサン・ジョヴァンニ病院をあとにしました。

私はこの時初めて病院の外観を見たのですが、まるで中世の教会のような立派な石造りの建物です。中はリノベーションされていて、日本の病院とあまり変わらなかったのでびっくりしました。

エミレーツ航空で帰国、腕に入っている金属が金属探知機に引っかかる

エミレーツ航空(EK)でドバイ(DXB)乗り換え、成田(NRT)まで約15時間の旅です。航空券を買う時、5,000円プラスだったけれど、フライト変更できるものにしておいたので助かりました。飛行機では、手術した右腕の隣の席を空席にしていただけたのでラッキーでした。

でも、ドバイでは、身体チェックで金属探知機が鳴ったので、腕を吊って空港職員に車いすを押していただいて移動しているのにも関わらず、調べるからと、別室に連れて行かれました。骨折して手術したから腕に金属が入っているのだと、説明したのに。どうも、英語がわからなかったようで、別の係員が呼ばれ、その人に説明すると、
「あ〜、手術して金属が入っているんですか」。
「さっきからそう言ってるんですけど〜」。
で、無事に解放されました。やれやれ。

帰国後に判明、診断書が別人のものだった!

さてさて、帰宅して、日本の整形外科に連絡をして、受診し、診断書を出しました。すると、なんと、診断書の「患者名、入院日」がまったく違っていたのです。さあ、どうしましょう。

事情説明のメールを病院に2回送る

さっそく、サン・ジョヴァンニ病院に事情を説明するメールを送り、早急に書き直して返送してほしいと頼みました。ところが、まったく返事がないんです。

2階とも返事がないので、インフォメーションのA君にメールを送る

2度めのメールにも返信がなかった所で、インフォメーション係のA君とD君のことを思い出し、思い切ってA君にメールで事情を説明し、助けを求めました。A君は、本当に親身になって、病院と私の間に入ってやりとりをしてくれました。

1か月半後に“わたしの!!!”診断書が届く!

1か月半後、ついに書き直された診断書が送られてきました。もし、向こうにいる間に、この青年と知り合いになっていなかったらどうなっていたことでしょう。彼のおかげで、私はベネチアを…,イタリアを嫌いにならずにすみました。

診断書を手に入れやっと保険金の請求

こうしてゲットした診断書を添えて保険金の請求をすることができました。

保険の請求は、現地での費用と日本の費用の2回に分ける

保険は、2回に分けて請求しました。一回目は、5月に、現地イタリアでかかった費用を請求。保証金の1,650ユーロ+入院費、入院中の主人の滞在費(宿泊と交通費)、ふたり分のフライト変更費用、など、約84万円です。2回目は、治療期限の184日を迎えた後の9月に、帰国後の通院・治療・交通費の実費約36万円を請求しました。

保険に関すること これから旅行する方へ

  1. 出発前に、カード会社に連絡し、海外旅行総合保険サービスガイド:Overseas Travel Comprehensive Insurance Service Guide) を送ってもらい、携行すること。
  2. カードによっては、「カードで旅行代金を支払う」などの条件があるので、確認すること。
  3. 家族以外の人たちと一緒の旅行の場合は、航空運賃などは、それぞれのカードで支払いをした方が良い。

保険の小冊子を忘れなければ、保険の請求はスムーズだったはず

今回、カード付帯の海外旅行保険を使うにあたり、大失敗したなと思うことがありました。いつもなら旅行に出発する前に、カード会社に電話して、保険の小冊子(海外旅行総合保険サービスガイド:Overseas Travel Comprehensive Insurance Service Guide) を送ってもらい、携行するのですが、今回に限って持って行くのを忘れてしまったのです。

海外旅行総合保険サービスガイド:Overseas Travel Comprehensive Insurance Service Guide 海外旅行総合保険保険金請求書:Overseas Travel Comprehensive Insurance Claim Form

これさえ持っていたら、これほどの苦労はせずにすんだはずなのに。この冊子の間に挟まれている英語と日本語で書かれた用紙(海外旅行総合保険保険金請求書:Overseas Travel Comprehensive Insurance Claim Form) に医師のサインと必要事項を記入してもらってくれば、保険の請求はスムーズにだったはずです。

クレジットカード付帯の海外旅行保険の使用記は以上で終わりです。良い旅を!

  • 使用した海外旅行保険:りそなゴールド《セゾン》付帯保険
  • カバーされた金額:入院・治療にかかった全額6450ユーロ(約84万円。保証金の1650ユーロを含む)および帰国後184日(保障限度日数)までにかかった通院治療費の実費(約36万円。通院交通費も含む)
  • 入院先:イタリア・ベネチア、サン・ジョヴァンニ病院
  • 入院期間:2015年3月12日〜20日
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